夢に向かって突き進む。
スポーツや芸能、音楽の世界ではそれを実現できる人は一握りです。
また、夢を持って行動している人も少数派です。
30歳を迎え、現在はバンド活動を引退し一般企業に勤務しているリュウキ(仮名)さん。
自分自身を鼓舞するため、そして生活をするため奔走した20代。
夢や目標を設定する事の大切さ。上手くいかない時にもがく自分。様々な感情が入り乱れ爆発し悩み、あっという間に過ぎ去りました。
「今、夢を追っている人の参考となれば幸いです」と話すリュウキさんにインタビューを行いました。
自己紹介
ーー本日はお時間いただきありがとうございます。まずは自己紹介からお願いできますでしょうか。
自己紹介
はじめましてリュウキと申します。
千葉県出身で2024年に30歳となりました。子供の頃から暇さえあればギターやベースを触ってましたね。
高校の頃から地元の友人と趣味レベルですが小さな箱でライブをしていました。基本ロックやヘビメタが好きですが「THE BACK HORN」さんのようにぶっ飛んだ曲とちゃんと言葉で伝える曲を歌えるバンドが目標でしたね。いつかは自分も彼らのように音楽でメシを食いたいと思っていました。
転機が訪れたのは24歳。友人のツテで界隈で有名な方に声掛けしてもらい、4人組のゴリゴリロックのベース兼サブボーカルとしてバンドに参加できる事になったのです。
メインボーカルの方は幼い頃から子役として芸能活動をしていたこともあり、鳴り物入りのインディーズデビュー。ライブの予定もどんどん入り滑り出しは好調だったと言えますね。
ちなみに、バンド名は他のメンバーに迷惑がかかってしまうかもしれないので伏せさせてください。
デビュー直後にコロナ渦に
ーー順調なスタートですね。その後の活動はどのような状況だったのでしょうか。
バンドで有名になる為にはまずライブを数多くこなす必要があります。SNS全盛の時代でも音楽を聴いてもらえるようになるにはまずはライブなのです。Xでフォロワーが増えたとしても音源を聴いてくれる人はほとんどいません。ライブハウスの実績を出す事で徐々に情報が拡散され、キャッチーな曲が上手くハマればYouTubeの再生回数が爆発的に増えるといった構図です。初期段階ではただ単にSNSで発信するだけでは厳しいのです。
インディーズデビューから1年ちょっとしたタイミング。これからだという時にコロナに見舞われました。順調にライブを行っていてファンも付いてくれた中で最悪のタイミングでしたね。
コロナ渦での活動
ーーコロナ渦ではどのような活動をしていたのでしょうか。
コロナが出始めて最初の頃はライブも開催していました。お客さんも若干少なくなった程度で何とか実施していた感じですね。ただ、緊急事態宣言が出てからは予定していたスケジュールが全て白紙になりました。
バンドですから飛沫防止と言われても困ります。。タイミングを見てメンバーで集まりコロナが明ける頃を想定し練習をしていましたが、情勢からそういった行動も難しくなりこれまでやってきた事が全て無くなったという感覚になりましたよ。
でもバンド活動を何とか続けなくてはならないとの思いから、X(旧Twitter)で自宅でベースを弾いた動画をUPしたり、些細な事をつぶやいたり色々と試行錯誤しながらやっていました。ただ、一向に増えないフォロワーとインプレッションに嫌気が刺し徐々にやらなくなっていきました。
またバンド活動と並行して飲食店のアルバイトもしていましたが、もちろんこれもコロナによって仕事ができなくなり、バンドと仕事全てを失いどうしたら良いのか、本当に訳の分からない状態でした。
ーーコロナ渦ではエンタメや飲食業は厳しかったと思います。異なる業界で働くといった選択肢はあったのでしょうか。
もちろん何も仕事をしないと生きていけないのでコロナに影響を受けない業態で働く事にしました。ただ、いつ通常に戻るかもしれないのでサラリーマンになってコロナが明けたら急に辞めるというのも微妙と思いコンビニのアルバイトを選択しました。あと自分は高卒で学歴が無いので一般企業の面接に受かる気もしなかったんです。
コンビニのバイトは飲食店時代と比べとても殺伐としており深夜帯はワンオペも多く、ある意味家にいるよりも孤独を感じるような場所でした。
飛沫防止のシートがあり、お客さんは全員マスクをしているのでタバコや店内Foodの注文が聞き取りづらく、こちらの反応にブチ切れるお客さんも多かったですね。
なんでこんな事で怒られなくてはならないのか。。こんな思いまでして働きたくない。非常に厳しい時間でした。
自分を見つめ直す
ーーコンビニバイトを続けるにつれて状況の変化はありましたか?
コンビニのバイトはどんどん自分を追い込んでいきました。これまでバンドという少しチヤホヤされるような事をやってきたのでなおさらです。
そもそも自分は本当にバンドで成功したいのか。
日々の辛い仕事や生活を繰り返していく中でこういった事を常に考えるようになってきました。
他のメンバーも同じ状況であったと感じます。日々の生活に追われ、いつしかバンド内での連絡も取り合わなくなっていましたね。
自分が何とかしなきゃいけない。
ピンチはチャンスだ、今のうちに新曲を何本も作っておこう。
他のバンドはどうなっているんだ?
色々と考え自分を鼓舞しようと試みました。ただライブハウス自体も閉鎖しており何をやっても無駄で、この改善しない状況を受け入れるしかなく、ポジティブな動きを継続させる事が難しかったです。
自分自身、何をしたら満足するのか分からないという状況でしたね。
もがく日々
マッチングアプリで女の子漁り
ーー迷走している中で結論は出たのでしょうか。
正直結論をすぐ出そうとか、何がやりたいとか考えられる状況ではありませんでした。
コロナ渦に入り1年ぐらいが過ぎた頃、コンビニバイトは限界がきて辞めました。普段からあまりお金を使うタイプではなかったのでコンビニバイトで貯めたお金である程度の期間は生活できるなという感じでしたね。
この頃から無性に誰かと話したくなりマッチングアプリで出会いを求めるようになりました。自分で言うのも何なのですが、女の子と食事をしてバンドの話で盛り上がるとすぐにお持ち帰りができるんです。ギターやベースの演奏が聴きたいといった流れで。
そして女の子が家に来ると必ずS○Xができたのです。
性行為が単純に気持ち良いというのもありましたが、自分が認められているという感覚が癖になり何度も何度も繰り返しました。彼女を作るわけではなく全てワンナイトです。女の子たちは自分のやってきた事を褒めてくれたり、ストレートに応援してくれるという言葉を投げかけてくれます。
自分が何をしたいのか更に分からなくなっていましたね。
新宿2丁目で身売り
この頃の自分は本当にどうにかしていました。
マッチングアプリで意図も簡単に女の子とS○Xができるので、逆に自分が体を売ったらどうなのか?と考えたのです。
コンビニで稼いだお金も少なくなってきたのでお小遣い程度のモノが貰えればぐらいの安易な気持ちもありました。
場所は新宿2丁目。言わずと知れたゲイさん達のメッカ。
マッチングアプリで募集するとすぐに見つかります。
元々男性に興味があったわけではありません。マッチョで背の高い方は怖かったので極力小柄な方と行為をしました。自分からフ○ラなどの責めをする事は抵抗があったので基本は好き放題犯されるだけ。1~1.5時間のプレイで1万円前後のお小遣いをもらいます。
そして感情はこのように変化します。
自分は現在底辺にいる。ここからどう這い上がるか。
自分を鼓舞する感覚で複数回行為を受け入れました。
このような最低な行為ですが、実は自分なりの考えがまとまったタイミングでもあります。ゲイの方々は皆さん優しく、こちらへの愛情と丁寧なお礼を言ってくれる人ばかりでした。
これまでのバンドという枠組みの中では、いかに自分たちの魅力を伝えてファンを作り、ファンを満足させる事ができるかどうか。
ただ伝えたいという思いが強すぎて一方通行であったのではと思うようになります。双方向の繋がりができて初めて感謝してもらえる。このような状況にならないとずっと片思いのまま終わるんだなと。
キャバクラのボーイ勤務
ーー自らの体を売るというのは凄い経験ですね。その後はどう進展していくのでしょうか。
悶々とした日々を送る中、親交のあるライブハウスのオーナーの知り合いでキャバクラ店のボーイが足りなくて困っているといった話しがあり、無職だった私はとりあえずお手伝いに行く事にしました。
ここでの勤務が人生の転機となるとは思いもしませんでしたね。
働く前はボーイという仕事はキャストさん(女の子)のパシリのようなイメージで、言われた事をすぐにやれば怒られないくらいの感覚でした。
もちろん入店してすぐの頃はお酒を作ってもっていき、グラスやFood皿を下げて洗うだけみたいな単純作業でしたが、入店3ヶ月でキャストの付け回しを担当する事となりました。
付け回しとはお客さんの特性によってどの女の子をつけるのか決める仕事。お客さんはもちろんの事キャストのモチベーション維持においても極めて重要な役割です。
例えばセクシー路線が売りの子はちょっとお触りをしたいお客さんにつけるとベストマッチ。社会や経済状況の知識がある子はイケイケの社長さんに配置すると良い、3次会ぐらいで来店した団体さんには盛り上げ役の女の子を入れるなど、現場の空気感や状況を即座に読む仕事です。
女の子同士の相性もあるので、どの子とどの子が仲が良いとか内部についても精通していなければなりません。ここが上手くいかないとお客さんは1SETで帰ってしまったり、女の子も稼げないので不満が溜まるのです。
1年間の勤務後店長に
付け回しの作業に慣れ、キャストさんからの信頼を得てお客さんからも声掛けしてもらえるようになった頃、店長が飛んでしまい(急な退職)、急遽店長の立場で仕事をする事となりました。ただ、バンドに戻るつもりだったので次の店長が見つかるまでとしました。
店長ともなると付け回しだけでなく、営業や1日の売上管理、近隣店舗のお付き合いなど仕事が色々と増えます。自分的にはこなせるか不安だったのですが、なんと初月から売上計画を達成できたのです。2ヶ月目移行も順調で自分が担当している間はずっと好成績を残せました。
ここで気をつけていた事がキャストさんを尊重する事。お客さんよりもキャストを優先しました。無理にドリンクを飲まなくても良い。お客さんと波長が合わなければすぐに配置変えをする。急な欠勤があっても怒らない。逆に稼ぎたい子にはどんどんお客さんを回す。などなど、キャストさんが最もパフォーマンスを発揮できるよう心地良い就業環境を心がけたのです。
こうする事でキャストさん自身が能動的にLINEで営業して集客してくれたり、同伴やアフターも積極的に実施してくれましたね。
過去の店長は神経質で厳しい方で「売上達成する為に何でもヤレ!」といった事をよく言っていたので、嫌に感じていたキャストさんも多かったのだと思います。
自分は働きやすい器を作っただけなのに「リュウキさんの為に頑張る」とか「ずっと長く続けて欲しい」など色々と温かい言葉をもらえるようになりました。
自分が枠組みを作って人が動き結果が表れる状態。
人に感謝をされる喜び。
自分、キャストさん、お客さん全てがハッピーになる構図がとても楽しいと感じるようになりました。
売れっ子のキャストさんとお付き合いする事に
バンドメンバーとは連絡を取ってはいましたが、各自仕事をしているので、練習をすることすらも少なくなってきました。
キャバクラの仕事が順調な中、ひょんな事からナンバー2の子とお付き合いする事になりました。スタッフとキャストの恋愛はタブーで、オーナーにバレてしまうと一瞬で首が飛びます。
ハラハラドキドキしながら背徳感のあるお付き合い。ただそんな事よりも、彼女からは多くの影響を受けました。
5歳年上の彼女。両親は不動産関係の経営者をしています。よって彼女は幼い頃から男を立てるという昭和の女性の立ち振る舞いを熟知していました。この部分は仕事で遺憾なく発揮。様々な経営者を顧客として抱えていました。
一方経営者視点も持っており、自分の考え方や将来について、論理的にサポートしてくれる言葉を投げかけてくれます。
自分は本当にバンドで食っていきたいのか、これから将来をどう生きていけば良いのか。ありのまま彼女に相談をしました。
結果、バンドは大好きな趣味とし、キャバクラ以外の満足感を得られる仕事に就くという目標が見えてきます。なお、キャバクラは若者離れが深刻で今後縮小傾向にあるといった彼女の見立てが腹落ちし、候補から外しました。夜のお仕事というのが長い目で見ると効率的では無いとも思ったのです。
自分のやりたい事が徐々に具体化
ーーここでバンド以外に情熱を注げるものを探す流れとなったのですね。すぐに見つかりましたか?
夜の世界以外の仕事を見つける為、一時期は昼・夜のダブルワークをしました。サービス業が良いかと思ったのでタイミー等の日雇い系のバイトを何種類もトライしてみました。
まずは接客業(飲食店、小売り)です。長く働く、給料、安定という点で厳しいと判断しました。娯楽業・宿泊業、運輸業なども経験してみましたが、いずれもピンときません。
ハウスクリーニングに辿り着く
色々挑戦した中で、もっともやりがいを感じたのが「ハウスクリーニング」の仕事でした。有名なところで言うとダスキンやお掃除本舗で、ネットやチラシから清掃員さんを自宅に呼んで、キッチン・お風呂・トイレ・エアコン等を清掃するお仕事です。
現場でご依頼主に会って、2~3時間もあればピカピカにできます。目の前にあるお困り事が自分の力で解決されるイメージで、作業が完了すると皆さん驚くようなリアクションで御礼の言葉をかけてくれるんです。
自分が努力した結果がすぐに賛辞としてもらえる。数時間の内にこういった感覚になれる仕事は中々無いんじゃないかと思います。
また、キャバクラで成功したように枠組みを用意し社員に実行してもらうような事もやってみたいと考えているので後々は自分で会社を立ち上げたいと考えるようになりました。
バンド、キャバクラも卒業 そして現在
明確な目標が出来たため、バンドも卒業することにしました。キャバクラも同じくです。そして現在は独立を見据えながら小さなハウスクリーニングの会社でサラリーマンとして働いています。
これを読んでいる皆さんは「バンドに対する情熱はそんなものか?」とか「もっと本気でやった方が良い」と思われるかもしれません。
おっしゃる通りで、本当に本気でやっている方々に比べると熱量が足りなかったのかもしれません。
コロナをきっかけとした活動停止はデビュー直後の私どもにはとても厳しく、3年間程でコロナが明けたタイミングで一から活動するというパワーが無くなっていたのが事実です。
タナボタ的なデビューで順調な滑り出し、そしてすぐに上手くいかなくなったわけですが、そういった状況だったからこそ、本当の自分は何がしたいのか一から考える事ができました。
バンドは自分が子供の頃からなりたかった職業なので、夢を諦めたという感覚もあります。しかしどちらかと言うと、やっと自分に合った仕事を探す事ができたという思いが強いです。妥協したとも思っていません。そもそも高校を卒業してから他のやりたい仕事は無かったですし、先の事を考えた事もありませんでしたから。
それが、自分が情熱を注げるなモノが見つかり、その仕事をするチャンスを掴めたという事なのです。
今はサラリーマン勤めですが、2年後を目処に独立したいと考えています。バンドで感じた事、キャバクラでの経験を活かすには自分で事業を起こす事がベストと考え、直近の目標としています。
会社を大きくしたいとか具体的な大きな夢はまだありませんが、多くのお客さんとコミュニケーションを取り多くのありがとうを言ってもらえるような会社にしたいですね。
まとめ/編集後記
順調な滑り出しのバンド活動。コロナという外的要因で全てが白紙になり、自分のやりたいことがわからなくなったというリュウキさん。バンドという夢を描き、もがきながら自分のやりたい事を見つけていく姿が印象的でした。
サラリーマンの世界では「何をやりたい」ではなく、なんとなく無難とか、自分のレベルに合ったところといったといったような基準で仕事を選ぶ方が多いと思います。それゆえ数年経つと転職をするという人が多いですよね。
リュウキさんのようにご自身で色々と経験して、自分のやりたいことに辿り着くというのは本当に凄い事です。一度落ち着いている状況を変化させる事って凄くパワーが必要ですからね。
皆さん
今のお仕事は楽しいですか?
私の周りには楽しいと感じながら仕事をしている人はごく一部です。
社会に出てから45年ぐらいは仕事をします。約半世紀です。安定的な生活や富みを築いても辛い仕事だったら半世紀もやりたく無いのが本望。自分のやりたいこと、好きなことを突き詰めて仕事にするというのは非常に重要な事です。
夢を持って行動している人は少数派。
でも小さな目標を立て一つ一つクリアしていくと大きな夢を成し遂げられますよね。
という事は小さな目標を立てていけば、自身の中でやりたいことや夢が出てくるかもしれませんね。
よーし自分(筆者)も頑張るぞ~
それではまた!
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